小箱

私には,秘密がある.

押し入れの奥,古い毛布の下に,小さな箱を隠している.祖父が遺したものだ.

縦が十五センチ,横が十センチほどの,蓋のついた「木製の」箱だ.

私は時折,誰もいない夜にそれを取り出し,膝の上に載せて撫でる.指先に伝わる,なめらかで,どこか温かい感触.表面にはうねるような模様が走っている.「木目」と祖父は呼んでいた.

近所の人に知られたら大変だ.「あの家,死体を飾っているらしいよ」と噂が立つ.実際,三年前に向かいの老人が,古い木製の杖を持っていたのがバレて,一家は引っ越していった.新聞では「遺体遺棄物の不法所持〜」と報じられていた.

うちにある家具は,当然すべて「化学合成」されたプラスチック製だ.つるりとした白い食卓,同じく白い椅子,壁も床も継ぎ目のない合成素材の板で覆われている.木目調の壁紙など論外だ.

日々の食事は,栄養パックを一日三回,微生物の培養による合成食で,風味は三種類から選べる.私は「中庸」と呼ばれる味を好んでいる.「菌類も尊い生命だ」として完全合成食しか摂らない隣人もいたが,私はそこまで厳格ではない.

ある朝,ラジオから声が流れた.

「脱プラスチックの波が広がっております〜」「若い世代を中心に自然な素材への回帰を求める声が〜」

栄養パックを吸う手を止めた.

「自然な素材……」

押し入れの小箱のことを思い出す.あれを,堂々と机の上に置ける日が来るのか.木目を,陽の光の下で眺められる日が.

「なお,国境地帯の果樹園をめぐり,循環派との対立は深刻化しており,倫理委員会は本日も声明を〜」

ラジオを消した.政治の話は疲れる.循環派という連中は,落ちた果実どころか熟したものまで,木から捥いで食べるという.「死体食い」と新聞は書いていた.野蛮な国の野蛮な風習だと.

その日の午後,私は街に出た.

広場で若者たちが集まって演説をしている.脱プラスチックの活動家らしい.私はおずおずと近づいた.

「あの,自然な素材と言うのは,その,つまり…… 木材なども……?」

演説が終わった後で,恐る恐る尋ねる.

若い活動家は,一瞬きょとんとした顔をして,それから穏やかに微笑んだ.

「まさか,われわれが推奨しているのは,バイオ樹脂です.微生物によって分解・生成された,自然な代謝の結果としての素材です.」

「死体では…… ないと?」

「もちろんです.あんな野蛮なものと一緒にしないでください.それに……」

活動家は声を落とす.

「旧来のプラスチックも,そろそろ見直されるべきなんです.あれは,化石燃料,つまり太古の植物の遺骸から作られている.直接の死体でないにせよ,起源をたどれば…… まあ,細かいことを言えば,という話ですが.」

活動家は笑った.私は曖昧に頷いて,その場を離れた.

家に着いてから,しばらくぼんやりしていた.白いプラスチックの天板を指で撫でる.つるりとして,冷たい.これが太古の森だったのか.億年前に倒れた木々が,地下で圧し潰されて,石油というものになって,それが今この食卓になっている.

私は立ち上がり,本棚から古い辞書を引き出した.

「樹脂」の項を引いた.

「…… 樹木の分泌物」

辞書を閉じると,合成紙のページがパタリと鳴る.指先にかすかな繊維の手触りがあった.

押し入れの毛布の下から小箱を取り出す.そっと食卓に置いた.合成樹脂の白い天板の上で,木目が静かにそこにあった.

穏やかな表情に見えた.

窓の外で,夕日が沈みかけていた.遠くでサイレンが鳴っている.国境で,また何かあったのかもしれない.

小箱の蓋を,そっと開けた.中には,祖父の写真が一枚,少し黄ばんでいる.